楽しいとは何だろう

よく、〇〇をやるのが楽しいという。楽しいから続けられる。続けるには楽しいことをせよ、というのは自己啓発本なんかでよく書かれている。

その楽しいってどういうことなのか? 人が楽しいと言ったとき、それは色々な意味合いがあるような気がしてならない。一言で「楽しい」と言われても受け手が勘違いをしてしまったら、よい結果を生まないのではないかと思う。

例えば、結果が出る。これは楽しい。

かけっこで一位になる、学校の成績で一番になる。やっているうちは苦しいけど、結果が出るから楽しい。こういう人は結果が出ているうちはイケイケの状態で、まさに物語の主人公になったかのごとく、前に突き進む。本人に聞くと「楽しい」と答える。

しかし、それは結果が出ているうちの話。出なくなったとき、やめてしまう。それは結局のところ結果の良し悪しに左右されているに過ぎない。

スポーツ選手や、駅伝の監督が昔と比べてずいぶん太っているのを見て、違和感があった。駅伝はしんどい。倒れるぐらいまで走りこむ。優勝した時は楽しい。報われたと思う。

しかし、自分の考える本当の楽しさとは違う。本当に楽しいのだったら、監督になろうが、引退しようが、八十才になろうが続けるはずだ。それをしないというのは楽しくないから、つまりしんどいだけと感じているのだろう。

結果に依存する楽しさというのは続かない。では、別の楽しさとはなにか?

それは行為そのものが楽しいと感じる楽しさだ。プラモデルを作っているときにワクワクしながら作ることや、ゲームに熱中するようなもので、誰かにこの作ったプラモデルを一万円で売ってやろうとか、ゲームを誰よりもクリアしてその動画をアップして評価をもらおうとかそういうことではない。

それが本来の楽しいという意味であって、結果が出ているから楽しいのはなにか違う。例えるならじわじわと水面下で上下するような楽しさと、一瞬の興奮とでも言おうか。

一瞬の興奮はギャンブルに近いものなのかもしれない。当たりが出るまで耐えて耐えて耐える。当たったときは喜びが爆発する。折れ線グラフでいうと急上昇に傾いている。しかし、こういった類の感情はすぐに冷め、急降下する。ゲームがそれかもしれない。

自分は〇〇をやっているとき、楽しいといったとき、その行為が楽しいのか、結果が出ているから楽しいのか、どっちなのか知っておいたほうがいいだろう。後者だった場合、外部の評価に影響されるため、しんどくなる。

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